2020年1月19日からスタートしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が話題になっていますね。
織田信長の嫁、帰蝶を演じる川口春奈さんの好演にも注目が集まっています!
川口春奈さんが演じる帰蝶とはいったいどんな人物だったのでしょう?
実は、織田信長の嫁、帰蝶に関しては信頼できる資料がほとんどなく謎に包まれた部分が多いのです。
今日は、織田信長の嫁、帰蝶の生い立ちや、織田信長との結婚について見ていきたいと思います!
織田信長の嫁、帰蝶とは?
それではさっそく、織田信長の嫁、帰蝶の生い立ちから見ていきましょう。
織田信長の嫁、帰蝶の生い立ち
織田信長の嫁・帰蝶は、1535年に美濃国(現在の岐阜県)の大名、斎藤道三と正室である小見の方の間に生まれます。
織田信長の嫁、帰蝶に関しては、実は生没の時期もはっきりしておらず、1535年ごろ生まれたとされています。
織田信長の嫁・帰蝶の幼少期に関しても詳しい記録は残されていませんが、正室唯一の娘として育ったそうです。
実は帰蝶は、後に本能寺の変を起こす明智光秀とは従兄妹になります。
こちらは、ドラマ「麒麟がくる」での系図を元にしたものです。

この図を見ても分かるように、帰蝶の母親・小見の方は、明智光秀の叔母にあたります。
濃姫という呼び名について
織田信長の嫁、帰蝶には『濃姫』という通称もあります。
織田信長の嫁、帰蝶は、現在の岐阜県にあたる美濃国から嫁いできたため、
美濃国の高貴な女性
という意味で『濃姫』と呼ばれたようで、当時刊行された『絵本太閤記』や『武将感状記』にも記されています。
実際の名前は、「帰蝶」か「胡蝶(こちょう)」だったと言われています。
織田信長と嫁、帰蝶の結婚
織田信長と帰蝶は政略結婚だった
1549年、帰蝶は美濃から織田信長の元へ嫁ぎます。
もともと、帰蝶の父親、斎藤道三と織田信長の父親、信秀は大垣城を巡って何度も闘ってきた敵同士。
しかし、なかなか決着がつかなかったため、斎藤道三と織田信秀は和睦をすることになり、織田信長と帰蝶の縁談が決まりました。
帰蝶が織田信長の元へ嫁いだのは、数え15歳の時でした。
このように、数え15歳で織田信長の元へ嫁いだ帰蝶ですが、実はそれ以前にも結婚していたと言われています…!
帰蝶は織田信長とは2度目の政略結婚だった!
帰蝶が最初に結婚したのは、織田信長と結婚する3年前の1546年のこと。
帰蝶が結婚した相手は、土岐頼純(ときよりずみ)です。
実は、帰蝶と土岐頼純の結婚も、斎藤道三が土岐頼純と和睦するための政略結婚でした。
しかし平穏は長くは続かず、斎藤道三と土岐頼純は再び敵同士に。
結局、土岐頼純は戦死したため、帰蝶は美濃に戻ったと伝えられています。
このように、2度目の政略結婚として織田信長の元へ嫁いだ帰蝶ですが、結婚後いくつかの逸話が残されています。
織田信長の元へ嫁いだ帰蝶の逸話
織田信長へ嫁いだ帰蝶の逸話①父に渡された短刀
帰蝶が織田信長の元へ嫁ぐことが決まった時、父親の斎藤道三は、
「もし信長が真のうつけ者であったなら、この短刀で刺せ。」
と帰蝶に短刀を渡したそうです。
それに対して帰蝶は、
場合によっては、父上を刺すことになるかも知れません。
と答えたそうです。
このエピソードからも分かるように、帰蝶は気が強くて芯のしっかりした女性だったと伝えられています。
織田信長へ嫁いだ帰蝶の逸話②信長の策略?
織田信長は、帰蝶と結婚して1年たったころ、寝床を抜け出し朝方に帰ってくるという日が続いたそうです。
不信に思った帰蝶が織田信長に問うと、
「道三(帰蝶の父親)に対して、謀反を企てている斎藤家の家老からの連絡を待っている。」
と答えたのです。
これを聞いた帰蝶は、すぐに父親・斎藤道三に伝え、家老は処罰されてしまいます。
しかし、これは織田信長が斎藤家を弱体化させるための策略だったと言われています。
織田信長の嫁、帰蝶の最後は?
織田信長が本能寺の変にて命を落としたあと、織田信長の嫁、帰蝶はどうなったのでしょうか?
【帰蝶の銅像】
織田信長の嫁、帰蝶の最後に関しても明確な記録がないため、さまざまな説が出ています。
織田信長と帰蝶の間には、子供がいなかったため早期に離縁されたという説や、本能寺の変で織田信長と一緒に亡くなっているという説。
また、実は帰蝶はとても長生きして江戸時代まで生きたという説。(当時の資料に帰蝶らしき人物が登場していたことから。)
~まとめ~織田信長の嫁、帰蝶(濃姫)はどんな人だった?川口春奈が演じ話題に!
今日は、織田信長の嫁、帰蝶に注目しました。
織田信長の嫁、帰蝶は謎の多い人物ですが、織田信長の正室だったことは間違いないようです。
あの織田信長の嫁、帰蝶がどういった人物なのか、実際のところは謎に包まれていますが、さまざまな説があるからこそ人々の興味も集めるのでしょう!